Yoshiko's slab with a haiku cut on it

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吉野義子の句碑から、吉野義子の俳句の世界を紹介します。

一、二瓣垂れ水音きゐる白菖蒲

吉野義子の第一句碑。RNB(南海放送)サンパークに建てられています。昭和62年6月14日「星」100号記念大会にて除幕式。愛媛新聞社サイト「あっとえひめ」松山句碑めぐりで紹介されている句碑。

二、地の底に出湯の流れ山粧ふ

吉野義子の第二句碑。松山道後宝荘ホテルに建てられています。平成3年11月25日除幕式。喜寿記念で建てられたものですが、祝賀会は11月19日地方文化功労による文部大臣表彰の祝賀も兼ねて行われました。前出松山句碑めぐりで紹介。

三、一花拾へば一花の匂ひ沙羅の花

吉野義子の第三句碑。美作(岡山県)鏡野町福泉寺に建てられています。平成5年7月24日除幕式。美作句会「星」会員の発起で建立されました。

四、海底山脈山頂は島冬耕す

吉野義子の第四句碑。今治市宮窪町石文化公園に建てられています。平成7年7月31日除幕式。7月30日には、子規記念博物館にて、「星」200号記念俳句大会が行われました。この句は、星終刊号宇和川喬子氏によれば、吉野義子自身がもっとも好きな句だそうです(二番目が下記第五句碑の句、三番目が第六句碑の句とのこと)。

五、甕にあれば甕のかたちに春の水

吉野義子の第五句碑。松山市道後のホテルふなやに建てられています。平成11年4月17日除幕式。「星」20周年記念俳句大会が子規記念博物館にて同日開催されました。昭和24年作で第一句集「くれなゐ」に収められています。前出松山句碑めぐりで紹介。

六、新涼の青ことなれる竹の幹

吉野義子の第六句碑。松山市権現町の自宅に米寿を記念して建てられました。平成14年11月10日除幕式。前出星終刊号宇和川喬子氏が義子の言として紹介したところによれば、愛媛の俳人石田波郷に絶賛された句。


吉野義子の句碑が、いしぶみ同人社の機関紙「いしぶみ」二十四号で紹介されました。以下がその記事の転載。

 碑だより

 吉野義子の句碑
                                               高村昌雄

 平成二十二年十二月六日、俳誌「星」の主宰だった吉野義子さんが亡くなられた(享年九十五歳)。故人の遺志を継いで、ご遺族が吉野家の墓苑(松山市鷺谷町、秋山好古の墓のある霊園)に二十三年四月、句碑を建立された。
 縦八十三センチ・横七十五センチの御影石に

 雉子鳴くや           
 写経の無の字尓(に)
 墨つげハ(ば)

と、昭和四十七年作の句が自筆の文字で刻まれている。碑陰にも同句がある。



 吉野義子さんの句碑は、この他に、

 二鱗垂れ水音き〉ゐる白菖蒲

 松山市井門町南海放送サンパーク昭和六十二年六月四日「星」百号記念
 この碑は、現在サンパlクが開園していて見ることができないため、適当な場所への移設が検討されている。

 地の底に出湯の流れ山粧ふ

 松山市鷺谷町ホテル宝荘玄関脇
 平成三年十一月二十五日喜寿・文部大臣表彰記念


 海底山脈山頂ハ島冬耕す

 今治市宮窪町文化運動公園石文化伝承館前
 平成七年七月三十一日「星」二百号記念


 聾にあれば奮のかたちに春の水

 松山市道後湯之町ホテル ふなや庭園
 平成十一年四月十七日「星」二十周年記念
 傍らの説明板に
 in the jar here/jar-shaped water/springtime water
と英訳句が添えられてある。


 新涼の青ことなれる竹の幹

 松山市権現町 自宅玄関横
 平成十四年十一月十日 米寿記念
 傍らに

in these frist cold days/green but with a different green/trunks of the bamboo

と英訳句を刻んだ石が据えられている。



 この他に、新潟県佐渡市と岡山県下にも「星」の会員によって建てられた句碑があると聞いているが未確認。
 吉野義子さんは、大正四年七月十三日、正岡子規の知友で言語学者の小川尚義の五女として台湾・台北市で生まれた。幼くして吉野家の養女となる。兄小川太郎の影響を受け、昭和二十三年、大野林火主宰「漬」に所属同二十九年同人となる。昭和五十四年一月一日「星」を創刊、主宰。平成元年には「銀河」を創刊、通信句会を主宰。俳人協会愛媛支部長・県俳句協会副会長・愛媛新聞文芸俳句選者などを歴任。
 俳句の視野を広く海外に広げ「俳句の国際化」に尽力、国際HAIKUサロンを主宰、国際俳句交流協会理事を務める。句集に「くれない」「むらさき」「HAIKU SAKURA」他。文部大臣表彰文化功労賞愛媛県教育文化賞など多数受賞。平成十五年、体調不良を理由に引退。同年十二月号をもって通算三百号を数えた「星」は惜しまれながら終刊した。

 「椿の湯」(松山市道後湯之町) ホテル「椿館」(松山の男湯湯釜と、市鷺谷町)玄関前左側に磨崖碑に刻まれている

 十年の汗を道後の湯に洗ヘ 子規

は、正岡子規と常盤学舎で共に過ごした知友小川尚義が、東京帝国大学を卒業、帰松するにあたって子規から贈られた句である。

 以上、いしぶみ第24号(13p-14p)からの転載。転載にあたっては、高村昌雄氏(松山郵趣会会長・松山坊ちゃん会副会長など)の許可を頂いております。高村氏の連絡先は「〒791-8025 松山市衣山5丁目768-8」となります。


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